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2012年03月09日

「御殿まり」の由来について

秋田さきがけ紙面に「由利本荘『ごてんまり』の名称〜“御殿女中説”異議あり」の記事があって興味深く読んだ。

県広報協会の「あきた」1963年11月号で、ごてんまりを「御殿女中がヒマつぶしに作った」「満茂が本荘城に移った際に伝わった」と紹介したのが、御殿女中説の始まりとした。


これに異とする根拠が1962年に本荘地域文化財保護協会の機関誌「鶴舞」に発表された随筆文。

随筆文は「江戸期の手まりは御殿女中から庶民に伝わったものが多い」と記述。その上で46年、木村さんが民俗学者柳田國男さんに、本荘のまりを「てんてん手まり」の『てんまり』です」と紹介すると、柳田さんが丁寧語の「御」をつけ「『御てんまり』ね」と応じた、なとと記した。


この説だと、本荘に「てんまり」と呼ばれる民芸品があって、柳田國男が「なぜ、それを『てんまり』と呼ぶのか」と聞いたことになるんじゃないかと。

また、御殿まりは山形県鶴岡市でも作られていて、鶴岡市観光連盟のHPには、

江戸時代に庄内藩の奥方、奥女中たちが手慰みに作ったのがはじまりと伝えられる代表的郷土玩具


と、書かれている。

名付け親が柳田國男だとするならば、「御殿まり」の名称は、1946年以降に本荘から鶴岡に伝えられたということになるわけで。

それ以前に鶴岡に「御殿まり」と呼んでいた記録があれば「柳田國男名付け親説」はひっくり返ると思うんですが。どうか。
posted by しょーじ(の) at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば・言語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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