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2009年08月07日

麻薬とは何か〜「禁断の果実」五千年史


麻薬とは何か―「禁断の果実」五千年史 (新潮選書)

麻薬とは何か―「禁断の果実」五千年史 (新潮選書)

  • 作者: 佐藤 哲彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/05
  • メディア: 単行本





・昨日今日のタイミングでこれを読んでる私ってある意味すごいな
 つ【酒井法子容疑者に逮捕状 覚せい剤所持容疑】

・目次は、
  
 
序 章 麻薬 精神に作用するクスリとは?
 第一章 麻薬・文明・万能薬 薬物の原初的使用とその伝播
 第二章 コカインとヘロイン 十九世紀欧州の発明
 第三章 ドラッグのアメリカ 理想の国家と麻薬の犯罪化
 第四章 覚せい剤と日本   もう一つの戦後史
 第五章 LSDとヒッピー  エクスタシーとレイヴ
 終 章 麻薬と人類の未来



・大麻や覚せい剤の所持や使用が罪なのはずいぶん昔からなのか、江戸時代に大麻で捕まった罪人っていないのか、というあたりを知りたいので、第四章「覚せい剤と日本」を中心に読んでみました。

・日本における覚せい剤は、近代日本の薬学の基礎を築いた長井長義が和漢薬の材料である麻黄から気管支拡張剤としてエフェドリンを抽出したのと同時に「麻黄研究物質第三十三号」と名付けられた物質を抽出したことに始まる。フェニルイソプロピルメチルアミンまたはフェニルメチルアミノプロパンと称されるこの物質は抽出から50年あまり後、1940年代にヒロポン=覚せい剤として日の目を見ることになる。

・1940年代当時の新聞広告には「資生堂歯磨」「イチヂク浣腸」と並んで「眠気と倦怠除去にヒロポン」の広告が載っている。覚せい剤の新聞広告なんて今じゃ全く考えられませんね。

・ヒロポン名で覚せい剤(メタンフェタミン)を製造していたのは大日本製薬。他にもホスピタン(参天製薬)、ネオパンプロン(小野薬品工業)、ネオアゴチン(富山化学工業)など合わせて23社にのぼる。

・戦時中軍部に備蓄されていたメタンフェタミンなどの薬品は、終戦後兵士が持ち帰ることで民間で使用されるとともに市中に放出された。

・昭和24,5年頃には、ヒロポンなど覚せい剤の製造自粛なんてとんでもないという認識がほとんどで現在のように使用者が取り締まられたり逮捕されたりと言った状況は想像できなかった。

「ヒロポン問題につきましてお伺いを申上げます。厚生大臣は、厚生次官の名においてヒロポン並びに各製剤の製造業者に対しました、製造をしないように、製造を手控えするように言っておりますが、勤労大衆並びに資本家はこれがために非常に苦しんでおる。また医薬上から見ましても、薬学上から見ましても、ヒロポンは覚醒剤として医薬品中の優秀な医薬品であります。この薬品がなければ病気の治療上非常な不便を来たすのでありますからして、厚生大臣におかれましては適正なるところの方針によってヒロポンの販売を許し、又医療政策上これが増産を図るのが至当であると思うのであります」(1949(昭和24)年第六回参議院本会議)


 最近は大分下火になったが、ヒロポン等覚醒アミン中毒は、昨今の話題の一つで、国会の問題にまでなった。この薬のお得意先は、流行作家、俳優、歌手等からパンパン、街のあんちゃん、浮浪児という三面記事の花形なので、過大に書き立てられる傾向はあるが、社会の各層に相当広く、ゆきわたっていることは事実らしい。先日ある会合で列席の記者諸君にきいてみると、ほとんど全部が愛用しているのには驚かされた。もちろんこれは嗜癖という程度でなく、上手に利用して、仕事の能率を上げているのである。(「ヒロポンはどうなる」『日本医師会雑誌』1950(昭和25)年)


・劇薬扱いや製造自粛によって、ヒロポンのヤミ市場での価格が上昇し密売が横行するようになる。1949年10月の市販価格が81円50銭に対して、ヤミ市場では120円。翌年には150円に上昇。ヤミ市場からの購入者は劇薬指定によって年齢制限がかけられた青少年たち。この時代、問題の中心は密売者に代表される大人たちである。

・覚せい剤取締法は1951(昭和26)年に両院で可決。同年7月30日に施行。議論のきっかけとなったのが、集団強姦事件で検挙された青少年たちが富山化学工業のネオアゴチンを使用していたことが明るみになった富山化学事件に端を発す。

・これで覚せい剤使用者がすぐに逮捕され罰せられるようになったわけではない。当時の警視総監は、中毒者が犯罪を犯した場合は検挙するが、中毒だけでは犯罪とするわけにはいかず、保護して治療すべきだと論じている。

・ヒロポンなどの覚せい剤は、それが犯罪を引き起こすと考えられたから取り締まられただけでなく、共産主義勢力が日本を侵略する資金稼ぎに利用されているものであるとされたがために大きく問題とされた。

・眠気覚まし、疲労回復の薬品として使用されていたヒロポンは1970年代の第二次覚せい剤流行期には性行為時に使用する例が増えている。このころにはヒロポン⇒シャブという呼び名が一般的になっている。

 
しかしながらそもそも覚せい剤を必要として、それを使用してきたのは日本であった。当初から覚せい剤は日本が諸外国、とくに欧米と対等に渡り合うために、開発され販売されたものであったといっていいだろう。近代化の過程で発見され、近代戦に臨む過程で発売され、その戦時下で用いられたという特徴をもっているからである。メタンフェタミンの発売で先行したドイツは、第二次世界大戦中にすでにその副作用を問題として規制をしたが、日本はそれには倣わず、むしろ使用を拡大させた。それは総力戦体制で欧米と渡り合うために、まるで国として眠気を振り払い、集中力を発揮する必要があったかのようでもある。そして敗戦後、日本は覚せい剤問題を抱えるようになって、皮肉なことにその意味ではようやく、欧米並みになったともいえるのである。(p176)
posted by しょーじ(の) at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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