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2011年01月26日

都はるみの歌い方は弘田三枝子の影響を受けている

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史


・戦後の日本歌謡史における演歌の成り立ちを詳しく解説した一冊。

・最もトリビアだった部分を引用。

 畠山みどりが、パロディないしコミックとしてレコード歌謡に取り込んだ浪曲的な意匠を、「唸り」という歌唱技法においてさらに極端に推し進めたのが都はるみです。

 彼女は高校在学中に、畠山みどりの歌を歌ってコロムビア主催オーディションに合格しました。都はるみの「唸り節」に関して興味深いのは、その歌唱技法が直接的に浪曲に由来するものではないということです。彼女は幼少時から母親の期待を背負って歌を習っていたのですが、ある時浪曲師上がりの漫才師、タイヘイ夢路の舞台を見た母が、娘の歌に個性を与えるために唸りを強調するように命じたのが発端です。

 本人の回想によれば、練習しても母のイメージするところを理解できず、当時ポピュラー歌手として人気絶頂であった弘田三枝子の歌い方を模倣することで、あの唸りを身につけたといいます。例えば「子供ぢゃないの」での「今でもガムを買ってくれるから嫌い」の「嫌い」の部分での押しつぶしたような発声を想起してください。

 現在の意味での「演歌」の歌唱法の一つの頂点ともいえる都はるみの極端な「唸り節」が、戦後のアメリカ音楽受容のひとつの頂点として、小林信彦をして弘田三枝子の歌唱技法に由来していることは、きわめて驚くべき事実です。


(p95)



これは、タイヘイ夢路の「浪花春秋」ですが、これには都はるみの「唸り」に似たところはあまり感じません。

次に、弘田三枝子の「子供ぢゃないの」



「今でもガムを買ってくれるから嫌い」は1′58″のあたり。

これが、「アンコ椿は恋の花」の「アンコ便りは〜」や「好きになった人」の「さようなら さようなら」や「北の宿から」の「女ごころの未練でしょうかなど」の「唸り」に影響を与えていたというのは実に興味深いです。







posted by しょーじ(の) at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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