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2008年01月27日

江戸時代の駕籠(かご)に関して

 時代劇を見ていた「せんせい」が「駕籠に乗っている人は中で結構揺れるからよいでない(容易でない)よな」と言うので、そう言われりゃそうだな、でも参勤交代なんていうとお殿様とかお姫様とか駕籠に乗ってるよな、駕籠の中では確か紐がぶらさがっていてそれにつかまって揺れに対抗してるはずだとか、乗ってるときはひざを追っているのかとか、馬に乗るとか馬車とか牛車とかのほうが楽なんじゃないのかとか。そういう話で盛り上がりまして。

ネットを検索すると、そういうことを疑問に思った人はすでにいたわけで、


【 参勤交代で大名は駕籠に乗るわけですが 】(Yahoo!知恵袋) 
中は真っ暗なのでしょうか。
長時間大名は何してるのでしょうか
小さいし、疲れると思いますし、
暗いので読書もできないので、ボーっとしてるか昼寝でもするしかないのでしょうか。

駕籠はかなり疲れる乗り物で振動も酷かったそうです。
かといって乗っている時に出来ることなど限られるので忍耐で耐えたようです。実は参勤の行列には藩主用の乗馬もつれているので場合によっては騎乗したり稀には歩いたりもしたそうです。
距離がある場合疲労が気になりますが西国の大名は参勤交代では瀬戸内海などでは船を利用したそうです。


【江戸時代の駕籠】(おしえて!HOME'Sくん)
駕籠自体、相当重そうなのに、人を乗せてかなりの距離を走る。
昔の人の体力には感心するものの、乗ってる方も乗り心地悪そうだし、二人分の人件費がかかります。
なぜ人力車のように、車輪をつけようと思わなかったのでしょうか。大八車とか、牛車とかはあったわけで、車輪の概念はありますよね?
何かの理由で幕府が禁止していたのですか。

江戸については幕府が人の乗る車を禁止していました京都でも御所車以外では、牛車は人間が乗ることを禁じられていました。
言い方は悪いのですが、駕籠かき人足の「既得権益」を守るためです。実際、明治になって馬車の解禁の際、かなり揉めています。



【江戸時代に車(車輪)を使う乗り物が発達しなかったのはなぜ?】(教えて!goo)
明治になって人力車が普及するまで、身分の高い人の乗り物は駕籠だったと理解しています。
駕籠は担ぐ人も大変だし、乗っている人も楽ではなかったと思うのですが、なぜ車(車輪)を使う乗り物が発達しなかったのか、不思議です。
江戸時代でも荷物を運ぶのには大八車などがありましたし、さらに古い時代には貴族は牛車に乗っていた時代もありました。
ですから、車輪を使う技術を当時の日本人が知らなかったわけではなさそうです。
しかし、なぜか、人を乗せる乗り物には車輪の付いたものは現れませんでした。
これは何か、理由があったのでしょうか?

ついでにですが、何故日本では馬車が発達しなかったか考えてみました。
当初馬の「去勢」が一般的ではなく、操るのに難しいといった理由かな、と思ったのですが、どうもこれも政策的なもので、幕府の物資運送を担当する「馬方」や「船方」の権益を保護するため,幕府が街道筋での車両の使用を厳しく制限したことによるようです
その為、こうした規制の無い戦国時代には「荷車」といい、馬が2輪の車をひいて軍事物資を運んでいるようです。
4輪の馬車が使われるようになったのは明治時代からで、実は私も昭和30年頃、家の前を馬が材木を載せた馬車をひいて通るのを見ておりました。
一応政令指定都市のど真中ですが、昭和30年代は馬が都心を通るのも珍しくなかったのですね。



posted by しょーじ(の) at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 知識・雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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