・小林信彦のエッセイの中に1945年3月10日の東京大空襲の記述があった。この大空襲を発案して実行に移したのがカーティス・E・ルメイ少将ということで。
p70より引用
「東京に低空飛行で侵入し、ナパーム弾をぶち込みたい」 彼は二月二十五日にこの考えをテストしている。ボーイングB29二百二十九機による焼夷弾の大規模爆撃。
この<成功>で、彼は三月十日の大空襲を企画する。命令書の作成は三月七日だった。ワシントンへは報告せず、ルメイが独断でやった、とNHKのナレーションはいう。
p73より引用
スタッフの質問はたった一つ、「なぜあの地域を爆撃にえらんだのか」であるが、ルメイは答えず、多くの勲章の撮影だけを許可する。
カメラはそれらの中の<勲一等旭日大綬章>をクローズアップして見せる。
<航空自衛隊の育成に貢献>したとして、昭和三十九年十二月四日に、天皇(昭和天皇)からあたえられたものである。
そこらへんのところをWikipediaで確認
【カーチス・ルメイ】
カーチス・エマーソン・ルメイ(Curtis Emerson LeMay, 1906年11月15日 - 1990年10月1日)は、第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人である。戦略爆撃の専門家、東京大空襲を初めとする日本の焦土化作戦を立案した。後に、空軍参謀総長になった。
[編集] 叙勲と波紋
1964年その功績により、日本政府より勲一等旭日大綬章を授与された。これは参議院議員で元航空幕僚長源田実と小泉純也防衛庁長官(小泉純一郎の父)からの強力な推薦によるものであった[5]。なお勲章は本来、授与に当たって直接天皇から渡される(天皇親授)のが通例であるが、昭和天皇はルメイと面会することはなかった。
ルメイは第二次世界大戦時に日本の都市に対する無差別戦略爆撃を立案・指揮者であることから、日本国内では叙勲に対し「勲章は誰の血であがなわれた物か」と批判が根強くあり、国会でも社会党などを中心として反対論があった。批判が強い状況での叙勲の経緯については、源田実の特攻隊戦術の責任不問との交換材料など、さまざまな推測がなされている。なお、ルメイは叙勲について自ら進んで公表することはなかったという。
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